フランス料理店『スリール』。フランス語で『笑顔』を意味するその店には、いつも笑顔が絶えない。オーナーの人柄なのか、看板娘の奈菜のおかげか、誰もが楽しめるフランス料理店として、有名人御用達の店でもあった。
クリスマスの今夜も店はにぎわっていた。店内に散りばめられた白い雪のようなクロスが敷かれたテーブルを今夜も笑顔の客たちが囲んでいる。そんな中、笑顔のないテーブルがあった。緊張で顔が真っ白な男と明るい笑顔の女が座ってるテーブルである。
「オーナー。あそこ本当に大丈夫なんですか?」
ホールスタッフの奈菜がカウンターキッチン越しにオーナーシェフに声をかける。
「ナナちゃん。今、忙しんで後にしてくれない?」
「え~、私、暇なんですけど」
奈菜はふくれっ面で、オーナーシェフに背を向け、先程のテーブルに目をやる。
「暇じゃないでしょ? ちゃんとタイミング見て音楽かけてよ?」
「あっ、忘れてた。休憩室に取りに行かなくちゃ」
「もう、しっかりしてよ。お客様にとっては大事なことなんだから」
「了解! 奈菜はできる子なんでしっかりお仕事しますよ!」
奈菜はそう言うと、控室にラジカセを取りに戻る。
クリスマスの今日、先程の緊張で真っ白な顔の男はサプライズで彼女にプロポーズすることになっていた。予約時に依頼があり、店として全面的に協力することになっていたのだ。
夜の8時まで後10分になった頃、ホールスタッフの奈菜たちは、全ての客席にクリスマスをイメージした赤と緑のキャンドルを置いてまわる。そして、小声でサプライズに協力してもらうよう伝えてまわる。準備は万端である。
そして、迎えた夜8時。店内の照明が落ち、各テーブルのキャンドルの灯りが揺らぐ。
奈菜がラジカセの再生ボタンを押した。
店内にワム!のラストクリスマスが流れ出す。
♪ラーストゥクリスマス アイゲブマハー バッザ ベリネクスディ ユアゲヴァウエィ♪
「ユカちゃんに大事な話があります」
「何?」
「付き合い初めてから約半年。色々あったけど、あの、その……」
男が言葉に詰まるのと同時に音楽が止まった。
慌てて奈菜がラジカセを確かめる。電源は入っているのだが、スピーカーが壊れたらしく音が鳴らない。
「オーナー! ラジカセ壊れちゃったみたい。やっぱり中古はダメだね」
「ちょっと、ナナちゃん。なんで新品買ってこなかったの?」
「だって、普段店では使わないから安くていいかなと」
「ラーストゥクリスマス アイゲブマハー バッザ ベリネクスディ ユアゲヴァウエィ♪」
静かな店内にラストクリスマスの歌が再び流れ出した。音は店中から聞こえてきた。低い声に、高い声。色々な声で歌が歌われる。壊れたラジカセの代わりに、他のお客さんたちが歌い出したのだ。
その歌声に勇気づけられたのか、再び、男が話始めた。
「僕は自分勝手で、いつもユカちゃんに迷惑かけてばっかりでごめん」
「えっ、何? 急に改まって? それにこの歌、何? もしかして……」
「これからもずうっと、僕のそばにいてください」
男は女の前に指輪の入った小さなピンク色の箱を差し出す。
「これを受け取ってもらえませんか?」
「やだ……もう……」
「えっ、ダメ?」
「違う。こんなのズルいよ。こんな状況じゃあ断れないでしょ?」
「あっ、ごめん」
女は笑顔で泣きながら、右手を男に差し出す。
「ほら早く、指輪をはめてよ。いつまで皆さんに歌わせておくつもりよ?」
男が慣れない手つきで指輪をはめようとして、緊張のあまり指輪を落としてしまう。
暗い店内を転がって行く指輪を慌てて男が追いかけようとすると、指輪が宙に浮いて、男の目の前に戻ってくる。男は不思議な光景に驚き呆然とする。
「レディーを待たせては行きませんよ。私のマジックを無駄にしないでください」
「マジシャン土屋!」
驚きの声が響く。店内には客として、有名マジシャンがいたのだ。
「アーイ ドンウォンロットクリスマス♪」
再び静かになった店内にマライキャリーの恋人たちのクリスマスが響く。歌っているのは、最近売れている女性シンガーのアルペジオ貫洞であった。
「キャー、なんで貫洞さんもいるの!」
女性客のグループが騒ぎだす。
アルペジオ貫洞は歌いながら微笑み、立てた人差し指を口に当て、静かにするよう他の客に促す。
店内の客が歌に酔いしれながら、宙に浮く指輪を見守る。
男も見守る。
「こらー! 何してんだー! 早く、指輪をハメれよー!」
大声で叫ぶ奈菜。
「ナナちゃん。静かに!」
「ええっ、でも誰かがツッコまないと」
「いいから静かに」
「ブー」
オーナーシェフの静止でまた奈菜はふくれっ面をする。
我に返った男が宙に浮いた指輪を掴み、女の薬指にはめる。
「おめでとうー!」
店内が喜びの声で包まれる。照明が再び付き、女の指にはめられた指輪が光輝く。
指輪を眺めてほほ笑む女と喜ぶ女を見て喜ぶ男。これで全てのテーブルが笑顔になった。テーブルにワイングラスが置かれる。
「こちらは当店からのサービスとなります」
奈菜は笑顔の二人にワインを注ぐ。
「やったー! 私、赤ワインが好きなのよ!」
「僕はユカちゃんが好きだけどね」
「やだ、もう、酔っぱらってんの?」
恥ずかしさのあまり男の顔が真っ赤になる。
「おーい、兄ちゃん顔が真っ赤だぞ!」
子連れの色黒長身男がヤジを飛ばす。
「あなた余計なこと言わないの!」
彼の妻が止めに入ったが、時すでに遅く、男の顔はさらに真っ赤になってしまった。
奈菜は女の横に立って腰を曲げ、女と顔を並べる。
「本当ですね。まるで赤ワインのようです。彼女さんは赤ワインが好きなんですよね?」
「はい、赤ワインも好きですし、目の前の赤ワインさんも大好きです」
また、店内が笑い声で包まれた。そして、男も照れながら笑った。
フランス料理店『スリール』。ここはいつでも誰でも笑顔になれる店。
完?
「ナナちゃん、あのラジカセ安かったと言っていたけど、お釣りは?」
「ないですよ」
「なんで?」
「おつかいの御駄賃としてもらっちゃいました」
「まあ少しぐらいはいいか……。ところで、5,000円あげたけど、いくら残ったの?」
「4,900円。あのラジカセ100円だったから」
「ちょっと! もらい過ぎでしょ!」
「いいじゃん、どうせホテル代に充てるんだし」
「……いいの?」
「クリスマスですよ? ほらほら、早く着替えて着替えて!」
完!
(この作品はフィクションであり、 実在する人物、団体等とは一切関係ありません)