鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第15回

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 私は惰性で歩き続けていた。夢に出てきた腕時計に運命を覚え、何らかの奇跡が起きると信じて京都に来た。しかし、何も起きなかった。
「おいでやす。冷たい抹茶いかがどすか?」若い女性の声が聞こえた。
 声のする方に目をやると、瓦屋根に白い壁、虫籠窓に緑の暖簾の店があった。
 ――抹茶か。そういえば、京都に来てから一度も飲んでいなかったな。

「抹茶飲もうよ!」若き日の妻が言った。 
 妻を追いかけて店先をのぞくと、手前に木製の箱が一つ置かれていた。箱の中には、小さな氷がびっしりと敷き詰められており、鮮やかな黄緑色の抹茶が入ったペットボトルが埋められていた。
「え? 抹茶のペットボトル?」私は驚いた。
 京都駅で見た冷たい抹茶は、プラスチックカップに入れてストローで飲むタイプで、蓋こそついてはいたが、逆さにすれば落ちてしまうようなものだった。
「冷たい抹茶どす。いかがどすか?」笑顔で店員が言った。
 抹茶のペットボトルには、白いラベルと緑のラベルが貼られていた。
「二種類あるんですか?」私は店員に尋ねた。
「砂糖入りと、砂糖なしどす」柔らかい口調で店員が言った。
「それじゃあ、俺は砂糖入りで」私は白いラベルのペットボトルを取り上げた。
「私は、こっち」妻は緑のラベルの無糖を選んだ。
「涼しいので店の中へどうぞ」店員のお姉さんが言った。
「どうする?」私は、妻に聞いた。
「中、入ろうよ」妻は、私の返事を聞かずに店の中へ入って行った。
 入り口すぐに置かれた長椅子に目をやると、すでに先客が数人座っていた。私と妻は入り口近くに肩を並べて座った。
 カチッ。ペットボトルの蓋を開けて、私は一口飲んだ。
「くぅー、冷える。生き返ったわ」私はペットボトルを見ながら言った。「美味しいわ! 生まれて初めて抹茶飲んだけど苦くないんだね」
「砂糖入りだからね」妻はくすくすと笑っている。
「この甘さがちょうどいいんだよね。抹茶の風味もあるし、これ、いいわ!」新しい味の発見に、私は目を輝かせた。
「そうだね。抹茶って美味しかったんだね」妻も驚いている。
 抹茶は苦くて渋いというイメージがあるが、実際に飲んでみると甘味と旨味に驚かされた。

 緑茶と抹茶は似ているが、茶葉の育て方が大きく違い、その違いが味の違いを出している。茶葉は日差しを浴びると、甘味・旨味成分であるテアニンが苦味・渋味成分のカテキンへと変化してしまう。細かい製法などの違いを除けば、日差しを浴びて育ったカテキンの多い茶葉で作られたのが緑茶であり、茶葉を覆って日差しを当てないようにしてテアニンを多く残したのが抹茶である。
 カテキンは風邪予防に効果があると言われているので、健康効果だけを考えれば緑茶を飲んだ方がいいのかもしれないが、味だけを考えれば抹茶を選ぶべきなのだろう。
 それにしても、茶葉とは面白いものだ。日差しを当てないよう手間をかけて育てれば甘くなり、日差しというストレスを与えればカテキンという強さを身につける。人と同じではないか。
 私は抹茶を飲みながら店の外をのぞいた。店内はクーラーが効いていて涼しいが、外は炎天下の中、多くの観光客が汗をかきながら清水寺に続く坂を上っていた。私は再び目をつむり、妻のいる追憶へと逃げ込んだ。

「疲れたね」私はうなだれながら妻に言った。
「うん」妻は抹茶を飲みながら言った。
「着物って歩きにくいね」
「歩きにくさもそうだけど、何より暑い。浴衣にすればよかった」
「そういえば、庚申堂にいた女の子たちは浴衣が多かったね」
「ほら、やっぱり女の子見てたじゃん」
「だから、見ていたのは浴衣であって、人じゃないから」
「本当に? いやらしい目で見ていたんじゃないの?」妻は、私に疑いの目を向けた。「この女、いいオンナだぜって、感じで」
「そんなことないよ」困りながらも私は、つぶやいた。「そういえば、一人だけ、いいオンナがいたな」
「は? お前、ふざけんなよ?」妻の顔が鬼になった。声にも殺気が混じっている。
「大きめの花が描かれた白い着物の人」私は、妻の着物を見ながら言った。「そうそう、この着物を着た女性」
「ん?」一瞬、妻の顔が曇って、私の言葉を理解して赤くなった。
「あっ、俺の隣に世界一、いいオンナが座っている」私はわざとらしく驚いて見せた。
「……バカ」妻は顔だけでなく、耳までも赤くしていた。 
「どうしたの? 顔、赤いよ?」
「黙れ!」妻の肘が、私のみぞおちに入った。「一言多いよ」
 私はみぞおちを押さえながら身もだえした。妻の愛は重いものだった。鈍い痛みを感じるほどに。
 痛みが落ち着いた頃、この店が抹茶の専門店でなく、和菓子屋だと気がついた。目の前のショーケースには、みたらし団子が飾られており、その奥では、だんごを焼いているのが見えたからだ。
「みたらし団子か……」私はつぶやいた。
「食べるの?」妻が聞いた。
「……ごめん。ダイエット中だったね」
「仕方がないな。ダイエット中だけど、付き合ってやるか」妻は立ち上がると、店員に声をかけた。「すみません。おだんごも食べたいんで、二人いいですか?」

 目を開くと、私の横には誰もいなかった。目の前では、あの頃と同じように、みたらし団子が焼かれ、甘い匂いを店内に漂わせていた。

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