鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第14回

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 八坂の塔から少し歩くと、右手に手作り時計の店が見えてきた。明るめの黄土色の壁に褐色の柱の店だ。私が探し求めていた腕時計のある店だ。
 店には面白いデザインの腕時計が多く陳列されていたが、その腕時計は他とは違う何かを感じさせた。一見、アンティーク風のアナログ時計なのだが、文字盤の数字が漢数字で表示され、『文字盤』自体が左右反転していた。時計には『我遡時(ワレトキヲサカノボル)』と名がつけられており、時を遡ることをテーマにした時計だとすぐに分かった。
 『数字』自体が左右反転しているのなら、多少見づらいだけで済むが、この時計は『文字盤』自体が左右反転しているため、八時に時計を見ると、短針は四を指すことになる。数字の書かれていない時計なら、上下左右を十二、六、九、三に見立てて時刻を読むことができるが、その時計では、上下左右が、十二、六、三、九と表示されているため、読み間違いやすく分かりにくい時計だった。
「気になるなら買えば?」妻が言った。
「気になるんだけど、実用的じゃないからな」私は迷いながら値札を見た。
 値段はそれほど高くはないが、今回の旅行で大分お金を使っていたので、あまり余裕がなかった。
「面白いデザインだと思うけど……」妻は、その腕時計を食い入るように見ていた。
「これがあるから、いいや」私は左うでに巻いている腕時計を見せて言った。「時計は一つあればいいし」
「そうだよね」妻は浮かない顔でつぶやいた。「……一つあれば、いいよね」
 不思議なデザインの時計の夢を見た翌朝、私は仕事に行く前にネットで店を探した。すぐにオンラインショップを見つけることができたが、そこには、あの時計は売られていなかった。
 その日の夜、実店舗なら売っているのかもしれないと思い、仕事終わりに電話で問い合わせをしてみたが、そのような時計は一度も扱ったことがないと言われてしまった。
 私は、肩を落としながらも家へ帰るために、バス停の前に立った。時間を確認するために時計を見ると、秒針が動いていなかった。電池切れだと思った私は、時計の電池交換をするために通勤ルートの途中にある時計店を訪れた。
「これは電池切れではありませんね。ムーブメントと呼ばれる針を動かしている部品が壊れているようです」若い男性店員が言った。
「修理できますか?」
「年季の入ったもののようですから、買い換えした方がよろしいかと……」
 このとき、私は運命のようなものを感じた。
 ――京都に行って、あの夢に出てきた腕時計を探さなくては。
 私は二十年ぶりに、祇園の手作り時計の店へ入った。店内のレイアウトは少し変わってはいたが、私はすぐに、あの時計を見つけることができた。他の時計の影になるように飾られてはいたものの、その存在感は異質で、遠くからも感じられるオーラのようなものを放っていた。
 アンティーク調の風合いに、逆さの文字盤、デザインも格好いいが、値札に一緒に書かれた『我遡時』の文字が、私の目を引いた。
「すみません。これ頂きたいんですが」私は『我遡時』と名付けられた腕時計を指差した。
「あれ? こんな時計あったかな?」男性店員は、見慣れぬ腕時計を見て戸惑っている。
「つけていきたいんですが、いいですか?」
「ちょっと待ってください」男性店員は、腕時計を持って店の奥へと消えて行った。
 数分経って、他の男性店員と一緒に、先程の男性店員が戻ってきた。
「すみません。この値札は当店のものですが」店員は頭をかきながら言った。「これは当店の商品ではないので、売れませんね」
「どうしても売って欲しいんです」私は頭を下げてお願いした。
 最初はしぶっていた店員も私の必死の願いに根負けし、私は『我遡時』を買うことができた。
 ――この時計をつければ、何かが起きるはずだ。
 私は、奇跡を願いながら、『我遡時』を左うでに当て、革ベルトを締め、 静かに文字盤をのぞき込んだ。
 時計の文字盤は左右反転していたが、秒針は普通の時計と同じく右回りで回っていた。
 秒針がぐるりと一周しても、何も起きない。
 そのまま秒針が一周して、さらに一周した。
 それでも何も起きない。
「どうしました?」心配そうに店員が言った。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」私は頭を下げて、そのまま店を出た。
「そりゃあ、そうだよな」一人納得しながら、私は清水寺へと向かって歩き出した。

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