鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第13回

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 八坂庚申堂を出て右へ折れ、車一台がなんとか通れるほどの道を歩き出すと、空を大きく感じる祇園の町並みに、突如、大きな建物があらわれた。法観寺の八坂の塔である。
 圧倒的な存在感でそびえ立つ黒い五重塔は、祇園のランドマークであり、京都にある四つの五重塔の一つである。京都には、東寺、醍醐寺、仁和寺、法観寺の四カ所に五重塔があるが、『八坂の塔』のような名前がつけられているのは法観寺だけである。
 昔は、法観寺を含め、この辺一体が八坂神社のものだったので、八坂の塔と呼ばれるようになったのだが、名前がつけられるほど町の人々から親しまれてきた五重塔だと思うと、感慨深いものがある。

「大きいね」八坂の塔を見上げて、私は言った。
「そうだね」私の隣で、妻も見上げながら言った。
 法観寺のまわりでは、多くの観光客が立ち止まって見上げていた。
 妻は法観寺の入り口にまわると、肩を落とした。
「どうしたの?」妻の後ろから、私は尋ねた。
「今日は開いていないようだよ」妻は入り口に貼ってある張り紙を指差した。
 法観寺の拝観は不定期であり、二十年前に私たちが訪れたときは入ることができなかった。

 二十年経ち、再び、法観寺の前に立った。そして、あのときの妻のように私も肩を落とす。今日もまた入れないらしい。人生は、本当に思い通りに行かないものだ。
 妻を幸せにするために、お金で不自由させてはいけないと思い、私は一所懸命働いてきた。主任だった私は、結婚後は毎日残業して、休日も会社に出た。プライベートの時間を全て削って働き続け、十年で課長まで昇格した。私の稼ぎだけでなんとか生活できるようになったとき、妻を説得して専業主婦になってもらった。
 共働きの方が経済的に楽なのは間違いなかったが、家事など家庭的なことが一切できない私にできることといえば、お金を稼ぐことだけだった。仕事と家事を適材適所で役割分担することにしたのだ。私は外で働いて、妻は家で働くことが、私たち夫婦にとって一番いいやり方だった。
 結婚後、二十年目にして、私は部長に昇格し、少しだけお金に余裕ができた。結婚二十年という節目の年だったので、私たちは思い出の場所である京都へ旅行に行くことにした。少し奮発して高級ホテルも予約した。窓から京都の夜景を楽しめる眺望のいい部屋だ。その矢先に、妻が自動車事故で亡くなってしまった。
 こんなことなら、もっと早く妻を旅行に連れて行くべきだった。
 妻のためと思い、仕事に打ち込んでお金を稼いできたが、全て無駄になってしまった。
 私は妻を幸せにできなかった。
 妻の笑顔が大好きで、その笑顔を守るために妻と結婚したというのに、この二十年、妻の笑顔を一度も見ないで終わってしまった。
 ――まだ、最後の希望が残っている。
 非科学的なことだと、頭では理解しているが、私はまだ、自分の直感を信じていた。妻を亡くした私が、旅行をキャンセルしなかったのは、旅行先が京都だったからだ。
 仕事から帰ってきて家でメールの確認をしたとき、旅行会社から旅行手続きが完了したというメールが届いていた。妻の四十九日が終わった翌日で疲れていたこともあり、私はキャンセルのメールを送らずに寝てしまった。そして、その夜、私は二十年前の夢を見た。二十年前の京都旅行で、私と妻が、祇園で手作り時計の店を訪れ、不思議な腕時計を偶然見つけたときの夢だ。
 これが京都ではなく、他の街なら、ここまで確信しなかっただろう。歴史的な建物が今でも数多く残っており、パワースポットと呼ばれる寺社仏閣がひしめく京都だからこそ、不思議なことが起きてもおかしくないと思えたのだ。

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