鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第12回

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 私は八坂神社を南下して祇園の町を歩いていた。祇園の町並みは、時代を感じさせる風情のあるものだ。ところどころ現代様式の建築を挟んではいるが、視線を屋根まで上げれば瓦屋根が、少し下ろすと細く短い窓が並ぶ虫かごのような虫籠窓(むしかごまど)、足下まで視線を下ろせば竹材を扇形などに組んだ犬矢来(いぬやらい)がある。道の先に目をやれば、茶色を基調とした落ち着いた色の格子と簾が時代劇さながらの光景を作り出している。ここだけ時間が止まったようである。
 徒歩で十分ほど歩くと、城門のように見える八坂庚申堂の山門に着いた。山門の上には、『見ざる、聞かざる、言わざる』の三猿が可愛らしく乗っている。
 境内は着物を着た女性で溢れており、中央の社には、白・ピンク・赤・黄・黄緑・水色……と、色とりどりの玉で覆われていた。

「可愛い!」妻は、慣れない草履に苦戦しながらも足早に社へと近づいて、写真を撮り始めた。
 社をよく見ると柱は朱色、屋根はエメラルドグリーンであり、中には真っ赤な帽子と前掛けをした釈迦の弟子の一人であるビンズルの像が祀られていた。
 玉に見えたものは、『くくり猿』と呼ばれるお守りで、ふかふかの座布団の四隅を縛り上げて玉のような形にしたものだった。『手足をくくられた猿』に見立てたものとあり、猿の頭に見立てた小さな白い玉も付いていた。これに願い事を書いて、欲を一つ我慢すると、願い事を叶えてくれるらしい。
 とはいえ、このカラフルな手足を縛った猿を大量にぶら下げた光景は、私には異様に見える。男と女で感じる可愛いさの違いというものなのだろうか。女心は難しい。
「見て、見て! 可愛いでしょ?」妻の手から、水色のくくり猿がぶら下げられていた。
「可愛いよ。とっても」私は、妻を見て言った。
 水色のくくり猿の可愛さは、私には分からなかったが、目の前の妻は可愛かった。
「でしょ?」妻は満足げな顔を見せた。 
 揺れる水色のくくり猿の裏に、何かが書かれているのが見えた。妻はすでに願い事を書いているようだった。
「何、願うの?」私は、妻の手からぶら下げられたくくり猿の裏を見ようとして、手を伸ばした。
「ちょっと」妻は、くくり猿を隠すように胸へと抱え込んだ。「何、勝手に見ようとしてんのよ!」
「いいじゃん、別に」
「見ざる、聞かざる、言わざる!」妻は大きな声で言った。
「何それ?」
「あれ!」妻は境内の奥にある本堂を指差した。
 本堂にも、くくり猿がいくつも吊されていたが、その手前に少し色の剥げた三猿の像が置かれていた。両手で目、耳、口を隠している『見ざる、聞かざる、言わざる』の三匹の猿は、庚申信仰において神の使いとされているため、ここ八坂庚申堂に飾られている。
「ああ三猿ね」私は頷くと、少し間を置いて眉をひそめた。「それって、秘密にするってこと? 秘密は良くないよ?」
「いいの!」妻は、色とりどりのくくり猿に覆われた社の裏にまわった。くくり猿を結びつけた場所が、私に見えないようにするためだろう。
 仕方がないので、私は社を覆うくくり猿を見て時間をつぶすことにした。単色だと思っていたくくり猿には、模様の入っているものもあり、全部で何種類あるのか数えられないほど多かった。すぐに、くくり猿に飽きてしまった私は、あたりを見渡した。二十人ほどはいるが、男は私ともう一人しかいなかった。本当に女性ばかりだ。それも着物を着た人ばかりだ。注意深く観察していると、着物を着ているのはアジア圏から来たと思われる他国の人ばかりだった。意外と日本人は少なかった。
「何、見てんの?」いつの間にか妻は、私の横に立っていた。
「えっ? 何って、くくり猿のバリエーションが多いなって、見てただけだよ」
「本当に? 他の女、見てなかった?」
「見てないよ?」
「絶対、見てた! 紫の朝顔模様の人、見てたでしょ? 私、見てたんだからね」
「何、もしかして焼いてんの?」
「知りません!」妻は頬を膨らませた。
「怒った顔も可愛いよ」 
「……バカ」妻は顔をほんのり赤くした。

 追憶の中を歩きながら、本堂の前に来た私は、三猿を見つめた。
 ことわざの『見ざる聞かざる言わざる』は、相手の欠点を『見たり聞いたり言ったりしないほうがよい』というものであるが、ここを訪れた人のどれだけが、この戒めを思い出しているのだろうか。
 戒めを胸に、私は三猿に手を合わせて深く頭を下げた。

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