鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第10回

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 八坂神社の中心には、無数の白い提灯で覆われたを舞殿があり、そこから四方へ石畳の道が延びて北側に本殿がある。境内には着物姿の観光客が大勢歩いている。
「何もないや」妻は舞殿の中をのぞいて言った。
「舞殿って書いてあるから、誰かここで踊るんじゃない?」私は右手を扇子に見立て、八の字を描いた。
「何それ、ジュリアナ?」妻は、くすりと笑った。
 舞殿は奉納行事や結婚式などが行われる舞台で、ジュリアナはバブル時代に流行ったディスコの名前である。
「本殿の前に、先に行きたい所あるんだ」妻はガイドブックを開いて、私に見せた。
「もしかして、あれじゃない?」私は本殿右横の女性が数人並んでいるところを指差した。
 本殿の右横には小さな社がいくつか並んでいる。その内の一つが、妻が京都で一番行きたかった美御前社だった。朱色と白の社の前に、石の鳥居が立っていて、鳥居の中央には美御前社と書かれた青色に金縁の額が飾られていた。
 美御前社には、宗像三女神と呼ばれる多岐理毘売命、多岐津比売命、市杵島比売命の三柱が祀られており、七福神の弁財天と同一視される市杵島比売命は、美貌の神としてあがめられていた。
 美御前社の参拝を終えると、妻は鳥居の横にある竹筒から流れ出た水で両手を濡らすと、手を合わせて拝んでから、化粧水をつけるように濡れた手のひらで頬を叩いた。
 美御前社の横にある水は、美容水と呼ばれており、数滴つけるだけで美人になれると言われている。
「これって、意味あんのかな?」私は眉間にしわを寄せた。「運勢のような目に見えないものは分かるけど、美人になるっていうのはおかしいよ」
「デリカシーって言葉、知ってる?」妻は、私をにらみつけた。 
「珍味のことでしょう」私は得意げに言った。
 英語の『デリカシー』には『繊細さ』という意味以外に、『珍味』という意味がある。私の大好きな小説に出てくる冗談だったのだが、妻には通じていなかった。
「……もういい。聞いた私がバカだった」妻は肩を落とすと、私に背を向けて本殿へと歩いて行ってしまった。
「ごめん。冗談、冗談から……」私は謝りながら、妻のあとを追った。
 妻の機嫌が悪いままでは、旅行を楽しめないが、私の経験上、いくら謝っても妻の機嫌がすぐに良くなった試しはなかった。私は、妻の機嫌を取る方法を必死で考えながら本殿に向かった。
 白地に朱色の柱が映える本殿では、着物姿のカップルが先に参拝していたので、無言のまま私たちは後ろに並んだ。
 参拝の順番がまわり、私は目をつむり、手を合わせて真剣に祈った。
 ――どうか。妻の機嫌が戻りますように。
 目を開けて横目で妻の表情を確かめる。一見、平穏そうに見える表情だが、眉間に力が入っていた。間違いない。妻は怒ったままだ。
 参拝が終わると、妻は無言で私を置いて歩き出した。
「次は、どこ行くの?」私は、何事もなかったように妻に尋ねた。
「大国主社」妻の声は、平たく冷たかった。

 本殿の南西に、生い茂る木々に隠されたエメラルドグリーンの屋根を持つ大国主社があった。石でできた鳥居の横には、『大国さまと白うさぎの像』と縁結びの神と書かれた立て札が立っていた。
 大国主社には、大国主命、事代主命、少彦名命の三柱が祀られており、大国主命は、神話『因幡の白兎』に登場する出雲の神で、縁結びの神でもある。
 私たちの先に、着物を着た三人組の女性が参拝していた。
 着物を見て、私は、今年の花火大会を思い出した。初めて見る浴衣姿の妻はいつもと違った美しさがあった。うなじが見えるように頭の後ろで束ねてまとめたシニヨンの髪型が色っぽくて、私の顔は緩みっぱなしだった。
 妻が参拝を終えたあと、私も手を合わせて祈った。この旅一番の神頼みだった。
 ――縁結びの神様。どうかお願い致します。彼女との縁を切らないでください!
「安くない? 着物のレンタルって、もっと高いと思った」他の観光客の声が、私の後ろを通り過ぎた。
 ――それだ!
 閃いた私は、すぐにスマホでネット検索をして、確信した。
 ――行ける! これなら彼女の機嫌もよくなるはずだ!
「次、こっちだから」妻は平たく冷たい声で言った。
 妻は、私と目を合わせずに、そのまま舞殿の方に向かって歩き出してしまった。
「待って! そっちじゃない」私は、妻を呼び止めた。
「何? こっちであってるけど」妻の顔に表情はなかった。「もう、どうでもいいけど」
「俺について来て」私は、妻のうでを引っ張った。
「離してくれない? 触られるの嫌なんだけど」妻の声の冷たさは、氷点下を越えていた。
「いいから、いいから」私は、強引に妻を引っ張って八坂神社の西へと向かう。
「いいわけないよね?」妻の声に苛立ちが混じり始めた。「私が嫌だと言ってるんだから」
「俺は、君に二度惚れた」歩きながら私は言った。「最初に惚れて告白して、二度目は、この前の花火大会」
「だから?」
「これで最後なら、もう一度、着物姿の君を見たい」
「意味分かんない」
「ついてきて」
 ふてくされる妻のうでを引っ張りながら、私たちは八坂神社を出た。

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