鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第9回

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 東寺から歩いて十五分。私は京都駅に戻ってきた。時間は昼の十二時を少しまわった頃で、平日の昼だというのに、駅には溢れかえるほどの人で賑わっていた。
 京都駅の正門である烏丸口に出れば飲食店もたくさんあるだろうと思い、京都駅を南北に貫く南北自由通路を通って、南の八条口から北の烏丸口まで抜けた。京都駅前地下街ポルタの大きな広告が、私の目に入った。
 入り口を見つけて地下街ポルタに通じるエスカレーターで降りると、地下街も地上と同じぐらいの人で溢れており、飲食店はどこも混雑していた。

「お昼時だから、どこも混んでるね」妻は、あたりを見渡しながら言った。
「どうする?」私は、妻の顔をのぞき込んだ。「上に戻って、他、探す?」
「そうだね。せっかくだから京都駅の中を散策しながら探そうか」
「分かった」
 私たちは京都駅に戻り、南北自由通路をもう一度歩くことにした。通路の両端にはお土産の専門店や駅弁の専門店などが観光客で賑わっていた。
「駅弁の専門店があるよ」妻が指を差した。
「駅弁か……。そうか、弁当っていう手もあるね」
「そうだね。お弁当買って、京都の風景を見ながら食べようか」妻はガイドブックを開き始めた。
「京都の駅弁って何があるのかな?」私は、駅弁専門店の入り口に並べられた弁当を物色し始めた。 
「駅弁は帰りに食べるとして、デパ地下行かない?」
「デパ地下?」
「うん。これによると、京都駅直結の伊勢丹で、京都の老舗料理屋が作ったお弁当が売っているんだって」妻は、私にガイドブックを開いて見せた。「せっかくだし、これにしようよ」
 私たちは南北自由通路に直結しているジェイアール京都伊勢丹の二階から中へと入って、エスカレータに乗って地下まで降りた。途中で寄った地下一階には、観光ルートから離れていた老舗和菓子店も数店入っており、お土産は帰りにここで買うことにして、私たちは地下二階に下りた。
 伊勢丹の地下二階も混んではいたが、私たちはそれぞれ好みのお弁当を買って、再び京都駅へと戻ってきた。
「どこで食べる?」妻は、頭を少し右に傾けて微笑んだ。
「これから移動するのもなんだし、その辺で食べない?」私はあたりを見回して座れそうな場所を探した。
「景色のいいところへ行かないの?」妻は、もの悲しそうな顔をした。
「向かいあって食べれれば、どこでもいいよ」私は照れながら答えた。
「何照れてんの?」妻は不思議そうな顔をしている。
「だから」私の顔が真っ赤になる。「君を見ながら食べるのが、いい景色なんだよ……」
「バ、バカじゃない」妻も顔を真っ赤にした。「何言ってんのよ、もう。恥ずかしい……」
 私たちは駅構内で座れる場所を見つけ、肩を並べて笑いながら弁当を食べた。あのときの弁当の味は忘れてしまったが、妻の笑顔だけは今でも忘れていなかった。
  
 京都駅からバスで揺られること二十分。朱色と白に塗られた八坂神社の西楼門が見えてきた。
 西楼門を見つけて門へと続く石段に近づくと、妻は私の右うでを引っ張った。
「何やってんの。こっちじゃないよ」私のうでをつかんだまま、妻が言った。
「でも、みんなここから入ってるよ?」
「いいから、こっち」妻はつかんだうでを放すと、そのまま私の右手を握った。
 付き合って一年。二人で旅行するのも初めてだったが、妻と手を握るのも、これが初めてだった。妻の手は、力を入れると骨が折れてしまうのではないかと心配になるほど小さかった。
「ん? なんか違うな?」そう言って妻は私の右手を放すと、左側にまわって、私の左手を握った。「うん。こっちだな」
 八坂神社の南側、車道がT字になっているところまでまわると、突き当たりには先程と比べて地味な石の鳥居が立っていた。T字路の先には浴衣姿の観光客が大勢歩いている。お祭りや花火大会ではよく見る浴衣も、こういう場所で見ると新鮮だった。
「ここが正門の石鳥居!」妻は、私の手を振りほどくように離して、鳥居を指差した。
 私は汗ばんだ左の手のひらを見つめながら、妻と握った手の感触の余韻を味わっていた。キス以外で彼女の体に直接触れたのはこれが初めてで、緊張し過ぎて手のひらは、汗でびっしょりになっていた。キスだって、ほんの一瞬で、ガチガチに緊張しながらだったぐらいだ。
「手、どうかした?」妻は、心配そうに私の左手を見た。
「何でもない」私は左手を隠した。
 いい歳した大人が、手を繋いだだけで浮かれて、余韻に浸っていたなんて恥ずかしくて言えなかった。
「ちゃんと言ってよ」妻は、少し機嫌の悪そうに言った。
「さっき、手を繋いだから……」私は恥ずかしくて、それ以上言えなかった。
「ごめん。手汗が気になったんでしょ?」妻は目をそらしてから言った。
「ああ、ごめんね。俺、汗っかきだからさ」私の声は少しずつ小さくなる。
「違う。違う」妻は、両手のひらを私に向けて、小刻みに手を振った。「私の汗」
「私の汗?」
「制汗剤使っていたんだけど、神社で洗ったら落ちちゃったみたいで……」
「俺の手汗じゃなくて?」
「え? 私じゃないの?」
 私と妻は驚きながら顔を見合わせた。一瞬、間を置いて、私たちは大笑いした。
「そろそろ、行こうか?」私は妻に左手を差し伸ばして言った。
「うん」妻は小さく返事をして、右手を伸ばした。

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