鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第8回

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 バスを乗り継いで四十分。両端に『東寺』と書かれた提灯を吊した門が見えてくる。東寺の北東に位置する慶賀門である。門をくぐって駐車場を抜け、拝観受付で拝観料を払い、柵で覆われた有料ゾーンへと入った。最初に目に入ったのが、白い建物に朱色の柱が特徴的な講堂だった。
 他の観光客がぞろぞろと列をなす後ろに続いて、私も中へと入った。講堂内は、扉から差し込む自然光と最小限の照明しかなく、目をこらしても暗かった。次第に目が慣れてくると、目の前にある大きな影が自分よりも二回りは大きいであろう仏像で、真横を向いていることが分かってきた。
 はやる気持ちを抑えて正面にまわると、視界に収まらないほどの数の仏像が所狭しと並んでいた。それらの立体曼荼羅と呼ばれる二十一体の仏像の多くは、当時の色鮮やかな塗装が剥げて下地があらわになってはいたが、その重厚さと講堂内のおごそかな空気により、私は圧倒されてしまった。
 講堂の中心には、大日如来を中心に五智如来、右側には金剛波羅蜜多菩薩を中心に五大菩薩、左側には不動明王を中心に五大明王、全体を囲むよう四隅に四天王を、その間を埋めるように梵天と帝釈天が配置されていた。
 中央に安置された大日如来と、その四方に安置された四体の如来は全て金色に輝いており、それらの前には多くの人が群がるように集まっていた。
 観光客の団体が移動して、流れるように私は大日如来の前に出た。顔を上げて大日如来の顔を見ると、目が合ってしまった。大日如来の見透かしたような眼差しに驚いて、私は目を背けてしまった。
 講堂を出ると、むっとする暑さを感じ、日差しの強さが肌を焼く痛みを覚えた。外の明るさがまぶしくて手をかざすと、先程まで気にならなかった蝉の声が、少しだけ騒がしく感じた。
「……凄かったね」先に出ていた妻が、余韻に浸りながら言った。
「うん」私は圧倒され過ぎて、それ以上何も言葉が出てこなかった。
 私も妻も講堂内にいる間は声を出せなかった。声を出してはいけないわけではないが、出せる雰囲気ではなかったのだ。
 
 講堂の隣に建つ金堂も、遠目では黒い建物に見えるが、こちらも長年の雨風で変色したらしく、近づいてよく見てみると茶褐色の建物だったことがうかがえた。
 中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩が安置されており、薬師如来が足を組んで座る台座の下には小さな十二神将が配置されていた。立体曼荼羅で見た二十一体の仏像の迫力と比べると少しおとなしく感じるが、神々しさはひけをとらなかった。
 中央に立ち、顔を上げると、ここでも薬師如来と目が合った。手を合わせて祈る妻の隣で、私は、薬師如来と目を合わせながら、覚悟を決めた。
 ――今日こそ、彼女に。

 二十年経った今、私は薬師如来と再び目が合った。同じ状況ではあるが、当時とは違う覚悟を持っていた。
 ――時計がダメなら、清水寺で。

 金堂を出ると、東に広がる庭園が目に入った。庭園の奥には、遠くからでも目につく五重塔がそびえ立っている。
「高いなぁ……」私は五重塔を見上げながらつぶやいた。
「そうだね」妻も私の横で見上げている。

 青い空を貫く五つの屋根は、近づきすぎると一つしか見えず、五つ全てを視界に収めようとすると後ろに下がって距離を取らなくてはならない。そばにいるときは気づかず、離れてから気づく。まるで、今の私のようだ。
 五重塔をあとにして、小さな池のある庭園を出ると、慶賀門に向かった。

「出るの、まだ早いって」妻が私の左手を引っ張った。「柳を見てないでしょ」
「ヤナギ?」 
「これ!」妻は、私にガイドブックを見せて言った。「小野道風ゆかりの柳」
 小野道風といえば、花札にも描かれている歴史上の人物で、小野道風ゆかりの柳は、池に囲まれた宝蔵へと続く入り口の手前にある。柳の木の左には、時代劇で見たことのある木製の立て札が立てられ、『小野道風ゆかりの柳』と書かれていた。
「小野道風って何をした人?」私は、妻に聞いた。
「さあ、分かんない。これにも書いてないし」妻はガイドブックを顔の高さまで上げて言った。
 私はスマホでネット検索した。それによると、ある日、小野道風は柳の葉に飛びつこうとする蛙を見つける。柳との距離から飛びつくことは無理だろうと思っていた蛙が、見事に柳への飛びつきに成功したのを見て、小野道風は努力の大切さを悟ったという話に出てくる柳だった。
 その話を知った瞬間から、私にとって、この柳は努力の象徴になった。
「この柳を背景に、記念写真を撮ろうか」妻がスマホを取り出した。
 それまで観光名所の写真は撮っていたが、自分たちを入れた写真は撮っていなかった。私が写真嫌いで、写されることを嫌ったためだ。妻と私が一緒に写っている写真は、後にも先にも、この時撮った写真一枚だけになってしまった。
「見て、あの岩に蛙がいるよ」妻が池の手間に浮かぶ岩を指差した。
 指の先には岩に彫られた蛙がいた。

 私はしゃがみ込んで、岩に彫られた蛙を眺めた。夏のうだるような暑さが、私の額に汗を浮かべ、頬をつたって地面にシミを作っていく。立ち上がって腰を伸ばすと、私は慶賀門に向かって歩き出した。

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