鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第5回

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 嵐電に乗り北野白梅町まで揺られ、東へ五分ほど歩くと学問の神様で有名な菅原道真を祀った北野天満宮が見えてきた。時間は午前九時と早い時間だったが、すでに多くの観光客が参拝に訪れているようだった。

 車道を挟んで信号待ちをしていると、隣に妻がいなかった。あたりを見渡すと、道の途中で妻が立ち止まっていたので、私は微笑みながら道を引き返した。
 向かう途中、店先に掛けられた『北野名物あわ餅』と書かれた提灯で、妻が和菓子店の前で立ち止まっていることが分かった。妻の横に立ち、視線の先を確認すると、思った通り、ショーケースの中には、紫がかった茶色い丸と黄色い俵型の和菓子が並べられていた。
「粟餅だって……どんなのだろうね」妻はつぶやいた。
「食べたいの?」私は、妻に尋ねた。
「……ダイエット中なんだよね」物悲しそうな顔で妻は答えた。
「旅行で地元の物を食べないのは、もったいないよ」
「だよね!」妻の顔が、パッと明るくなって、嬉しそうに私の顔を見つめた。

 私は『粟』と書かれた暖簾(のれん)をくぐって粟餅所・澤屋に入った。
 北野天満宮の門前に店を構える粟餅所・澤屋は、江戸時代から創業している三百年以上続く老舗和菓子店で、粟餅で有名な店である。
 入り口のカウンターでメニューを選ぶと、プラスチック製の番号札をもらいテーブルについた。カウンターの方を見ると、白い割烹着を着たおばあさんと眼鏡を掛けた若い職人さんが粟餅を作り始めた。私はお茶を飲みながら慣れた手つきを眺めていた。
 一息ついた頃、できたての粟餅が運ばれてきた。番号札を渡すと、私は目の前の粟餅を見つめた。こしあんで包んだ紫がかった茶色の丸い粟餅が二つ、きな粉をまぶした太く長い粟餅が一つ、手元には和菓子を切り分けて食べるために使うナイフのような形の和菓子切りが一本そえられていた。
 こし餡で包まれた丸い粟餅に和菓子切りを入れると、柔らかな粟餅が二つに分かれ、餡に包まれた黄色がかった白い餅が出てくる。切り分けた餅のカケラを和菓子切りで刺して口へと入れると、なめらかなコシ餡が舌をなぞり、プチプチとした食感が歯の上を転がった。控えめな甘さが上品で、いくらでも食べられる優しい味だった。きな粉をまぶした粟餅にも和菓子切りを入れ、きな粉が落ちないよう慎重に口へと運ぶ。
 ゴホッ、ゴホッ。私は、きな粉が気管に入って少しむせてしまった。

「もう、何やってんのよ。ほら、お茶飲んで」微笑みながら、若き日の妻がお茶を差し出してくれた。
 私はお茶を一気に半分ほど飲んだ。昔から、私は粉っぽい物を食べるといつもこうなった。
「うーん。おいひぃ」妻は、左手で頬を押さえながら目を細めて微笑んでいた。

 私は、あの笑顔が好きだった。毎日、あの笑顔を見たいから一緒になろうと思った。毎日食べても飽きない味、毎日見たい笑顔。向かいの空席を見下ろして、私は溜め息をついた。一人で食べる粟餅は、以前ほど甘く感じなかった。

幻日(げんじつ) 第6回

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