鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第3回

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 食事を終えると、私は京都駅前のバス停に向かった。
 バス停には電光掲示板が備え付けられており、次に出発するバスの時刻が表示されていた。時間を確認するために左うでに目をやって、溜め息をついた。またしても、私は腕時計を忘れてきたことを忘れてしまったのだ。長年の習慣とは恐ろしいもので、どれだけ頭で理解していても、同じミスを何度もしてしまうのだろう。
 呆れながらも、ズボンのポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、バスが来るまでは、まだ十分以上はあった。私は、バス停前のベンチで待つことにして、腰を下ろした。
 あたりを見渡すとスーツを着た人たちが目に入った。今日は平日だった。私は休みだが、世の中は休みではない。私は、有休を使ってここにいるのだが、なぜだか罪悪感を抱いてしまった。体だけでなく心にも、仕事人間が染みついてしまっているのだろう。
 私は高雄京北線栂ノ尾行のバスで三十分ほど揺られ、龍安寺駅前で降りた。
 二十年ぶりに龍安寺(りょうあんじ)を訪れたが、ここは何一つ変わらない景色だった。縦に三列並んだ石畳の上を歩いて山門の前にたどり着くと、拝観料を払って門をくぐる。空を覆いそうなほど生い茂る緑に囲まれながら参道を歩くと、左手に大きな池が広がっていた。鏡容池(きょうようち)と呼ばれるこの池は、龍安寺の池泉回遊式庭園を構成する池で、枯山水(かれさんすい)の石庭と並ぶ見所の一つである。
 水面を覆うように、スイレンが丸い緑色の葉をいくつも浮かべては、大きな集合体を形成し、ところどころにピンクや白の花をぽつらぽつらと咲かせていた。
 ――マンションのようだ。
 人が集まって家庭を作り、家庭が入った部屋が集まってマンションは形成されている。
 血が繋がっていなくても一緒に暮らせば家族だが、マンションでは壁一枚隔てて隣に人が住んでいても家族ではなく、他人である。家族と、壁一枚隔てて暮らす隣の住人との違いは物理的な距離ではなく、精神的な距離なのだろう。家族かどうかは、お互いを家族と思っているかどうかで決まるのだ。
 ――妻は、私を家族だと思ってくれていたのだろうか。
 石畳の上を考えながら歩いていると、庭園内に生える木々の根元を苔が覆っていることに、私は気がついた。いつの間にか、私の視界には、苔の柔らかな緑色と参道の白い石畳のコントラストの美しさが広がっていたのだ。
 私は空を見上げて、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。真っ青な空が、心の中に溶け込んできて、私は開放感に満たされた。
 澄んだ気持ちで歩き続けると、目の前に段差の低い石段があらわれた。ここを上れば、あの石庭が待っている。私は、階段を上り切ると、はやる気持ちを抑えながら受付を済ませて、廊下を抜けた。
 そこには、真っ白な世界が広がっていた。
 私は床に腰を下ろして、真っ白な枯山水を眺め出した
 幅二十五メートル、奥行き十メートルの長方形に仕切られた白い砂の上には、十五の大小様々な石が、苔で覆われた島に数個ずつ散りばめられていた。
 私は、視界に収まりきらない石庭を水平方向に流すように眺めながら、石を一ずつ数えてみたが、十五の石を全てとらえることはできなかった。
 龍安寺の石庭には一つの謎がある。石は全部で十五個あるが、どの場所に座っても、隠れてしまう石が一つ出てくるため、全ての石を見ることはできないというものである。ここを訪れる多くの人が、その謎を解くため十五個の石全てが見渡せる場所を探そうとすることでも有名である。

「何やってんの?」眉を寄せて妻が言った。
「十五個全て見れる場所があるらしいんだよ」私は落ち着きなく動きまわっていた。
「恥ずかしいからやめてよ」
「みんなやってるよ?」
「みんながやってるから正しいって、わけじゃあ……」妻は、私の顔をのぞき込んでにらみつけた。「ないよね?」
「……はい。そうです」私は石になった。石庭の石が十六個になった瞬間である。
「こういうのって、全身で感じるものでしょ?」落ち着いた口調で妻は言った。

 私は思わず顔がほころんだ。二十年前の妻とのやりとりが鮮明に思い出されたのだ。
 思い出の中の妻は、艶のある栗色の髪を後ろでまとめており、白い肌にはまだ張りが残っていた。私をにらみつけている瞳ですら、白く澄んで美しかった。
 私は、目を閉じて耳を澄ました。
 蝉の声だけでなく、他の虫の声も聴こえる。
 落ち着いた木々の匂いと、晴天の日に感じる太陽の香りもする。
 私は、そのまま静かに深呼吸をした。
 夏の強い日差しが、顔の表面をジリジリと焼き、汗が額から一筋流れた。
 私は、ゆっくりと目を開いた。
 ぼやけた視界のピントが合って、一番初めに入ってきたのは枯山水の白い砂ではなく、ところどころ黒ずんだ黄土色の油土堀だった。菜種油と練り合わせられた土で作られた高さ百八十メートルの枯山水を取り囲んだ土塀の力強さがあるからこそ、堀を越えて茂る木々の緑と石庭の白い砂を一つの景色として繋ぎ止め、この石庭に落ち着きを与えていた。
 ――見えているようで、見えていなかった。
 この世界に溢れかえっている『こうあるべきだ』という雑音で、私は、自分を見失っていたのだろう。私は、二十年経って初めて、妻の背中が見えてきたような気がした。

幻日(げんじつ) 第4回

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