鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

幻日(げんじつ) 第2回

幻日(げんじつ) 第1回はこちら

 

 私は朝食を取るために和洋ビュッフェの店へと入った。黒いお盆の中央に、白く丸い皿を一枚だけ載せ、西京焼き、だし巻き卵、漬物、京野菜を使ったおばんざいを綺麗に並べると、白米と味噌汁を手前に載せる。バランスの取れた健康的な和食がお盆の上に揃った。こんな色鮮やかな朝食は新婚依頼で二十年ぶりだった。
「ごはんは家族そろって食べるものでしょ?」
 妻のその一言に私は戸惑った。私の家は両親ともに共働きで、朝食を家族で取るという習慣がなかった。新婚当初は私も妻に合わせて食卓を囲んだが、いつしか私は、妻の作った朝食に手をつけなくなり、通勤途中に携帯食料で済ませるになっていた。昼は会社近くの定食屋で済ませ、夜は帰宅時間が不規則なこともあり、新婚生活半年で、妻と一緒に食卓を囲むことはなくなってしまった。
 二人用のテーブル席に腰を下ろして、私は笑った。箸と飲み物を取ってくることを忘れてしまっていたのだ。
 ――何をやっているんだ、私は。
 自分自身に呆れながら重い腰を上げた。
 妻が専業主婦になるのと同時に新居に移ったということもあるが、妻が亡くなるまで、私は家のことを一切したことがなく、箸すらも自分で用意したことがなかった。妻と死別して二ヶ月経った今も、自分の家だというのに、どこに何があるのか分からない状態で、家のことは何一つできない情けない夫のままだった。
 ドリンクバーからオレンジジュースを選ぶと、席につくなり、オレンジジュースに口を付けた。
 ――物足りない。このジュースには種がない。
 当たり前といえば、当たり前なのだが、私にとって朝のジュースは種が入っている飲み物だった。
 朝は忙しく、朝食を取る時間がないと言った私に、妻は絞りたてのジュースを用意してくれた。普通のジューサーでは、空気の混入による酸化で栄養が失われやすく、高速回転する刃による摩擦熱で酵素が壊されてしまう、という理由から、毎朝、妻は野菜や果物を小さくカットして手で絞ってくれていた。
 私の健康を気にしたうえでの手間だったのだが、種が入っている、皮が残っていてのどごしが悪い、としか思わず、私は、そのような気遣いに感謝したことがなかった。
 漬物を口にしたとき、少しだけ塩分が気になった。ここの食事が他と比べて塩分が多いわけではない。私の舌が敏感なのだ。
 妻は私が塩分を取り過ぎることを気にしており、焼き魚に醤油をかけようとすると、いつも注意したものだ。いくら注意しても醤油をかけるのをやめない私をみかねて、減塩醤油に切り替え、さらに醤油差しもスプレー式のものに変えてしまった。
 妻の努力により、私は少しずつ減塩生活に慣れて、今では外食するたびに塩分が気になる体質になっていた。おかげで血圧も下がり、健康診断で引っかかることもなくなった。
 思い出に浸りながら一人静かに朝食を取る私の向かいの席に、笑い合うカップルが座った。あたりを見回すと、朝七時と早い時間帯であったが、客は半分ほど席を埋めていた。京都駅前の高級ホテルとあって、私と同じ観光客が多いのだろう。金色の髪が美しい他国の夫婦、還暦を迎えているだろう年配の日本人夫婦、品の優そうな子連れの家族。誰もが楽しそうに語らいながら朝食を楽しんでいた。お一人様は、私だけだった。

幻日(げんじつ) 第3回