鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

直木賞を取るから、エッセイの練習を始めようと思う。

 昨日、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。日本の小説は大きく2つに分けられる。芥川賞の対象となる文学的な『純文学』と直木賞の対象となるエンタメ的な『大衆小説』だ。

 私は純文学が好きではない。そもそも私が本を読むのが嫌いになったのは、国語の教科書で純文学を読まされたためだ。登場人物がどのように考えているかを、テストの問題にすることができるような難解な物語を、子供に読ませるなんて鬼の所業としか思えない。ましてや、純文学を書いた作家の人生については触れずに、作品だけを読ませて尊敬できる人だと思わせる手法は、胡散臭い宗教のようで、恐怖すらある。

 文豪と呼ばれている人は、もれなく変人であって、男性作家には必ずと言っていいほど女性トラブルがついてくる。小説家のなかでも、文豪として成功する人が女性にモテないわけがない。彼らは言葉を操るのが得意なのだ。小説なんか嘘の塊でしかないのに、それが全て本当にあったことのように信じさせる。多くの人を騙せる人が、一人の女性を口説き落とせないわけがない。

 こんなことを長々と書いていると、自身の女性トラブルを言い訳していると思われるだろうが、これは言い訳ではない。説得であり、洗脳である。過去に一度でも私のことが好きになった女性が、ここまで読んだとしたら、もう手遅れである。あなたはもう私のことを一生忘れることはできない。諦めて私とデートしなさい。デートしてください。デートしていただけませんか。よろしくお願い致します。連絡お待ちしております。

 遊びはこれぐらいにして、ここからが本題だ。私は、直木賞を取ることにした。私が受賞すれば、若年性パーキンソン病患者として初の受賞となり、世界初の快挙となる。もっと言えば、小説家デビューした時点で、世界初である。

 そもそもパーキンソン病は、自律神経に影響の出る病気なため、ちょっとした刺激でメンタルに影響が出やすい。うつ病の症状も出るし、やる気が起きないことなんていつものことである。こんな状態で、健康な人でも書けない小説を書くなんて、無理というものである。

 そのため、私が会社員をしながら、長編小説を書き上げた時点で、世間的には、あり得ないことが起きていたのだが、不思議とネットでの反応は冷ややかだった。その分、リアルでの反応は大きくて、私も、こうやってプロを目指しているわけである。

 私のプロデビューは近い。今、書いている原稿を読んでも、1年前とは比べられないほど成長していることは明白だ。今年デビューできなくても、数年のうちにデビューできるだろう。問題は、直木賞を受賞できるかどうかである。

 すでに活躍している先輩作家たちを押しのけて受賞するのは至難の業だ。受賞したらしたで、期待されるレベルが上がり、直木賞作家の肩書きが重くのしかかることになる。受賞はしたいが、受賞したらしたで、正直、怖い。

 何よりも怖いのが、受賞後に依頼されるエッセイである。普段、本を読まない人も、新聞やウェブメディアのエッセイは目に入る。そして、作家の実力は、本業の小説ではなく、エッセイで判断されてしまうことがある。これは正直、困る。文章を書く、という点は、小説もエッセイも同じではあるが、本質は全く異なるものだ。

 小説は嘘を書くものだが、エッセイは本当のことしか書けない。エッセイは、それまでの経験を書くもので、私のように記憶がほとんど残らない人間が書けることなんて、子供の頃の思い出が数件と大人になってからの思い出数件。全部合わせても10件もない。

 こんな状態で、2週間で10本エッセイを書いてくださいと色んな新聞社から頼まれるのだ。その2週間で他にも取材を受けて、サイン会もやってとなると、ほとんどエッセイを書く時間はない。ましてや、私は病人である。体力がもたない。そして、確実にネタ切れになる。

 それでもなんとかエッセイを書くと、エッセイで初めて私の文章を読んだ人たちは、こんなつまらないエッセイを書く人が、直木賞を取ったとは信じられないと思うに違いない。

 ああ、怖い。怖い。エッセイではなく、小説で判断してくれ!

 となるので、明日からエッセイを書きます。毎日は無理でも週に1回は書こうと思います。