鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

架空日記 爽幻2年4月17日

 

 境都(きょうと)に引っ越してきてから一ヶ月が経った。憧れの街である境都は、交差点一つをとっても物語の中の世界で、見るものすべてが輝いて見えた。視界に映る古びた建物は、すべて重要文明財で、崩れかけた禊壁(みそぎかべ)すらも触って崩してしまうと招魂流(しょうこんなが)しの刑になるらしい。

 このことは、隣に住む斑目(まだらめ)さんから聞いたことなので、どこまで本当のことなのか疑わしいものだが、ざらざらの思念層のなかに埋もれる、キラリと光る禊ぎ星を見つけると、禊壁が重要文明財であってもおかしくないと思えた。

 僕が生まれてから二十年ちょっと、文明が三度も変わって、今は比較的穏やかな爽幻期(そうげんき)である。前の白雨期(はくうき)では、十二年もの長き間、粘り気のある白い雨が降り続いたせいで、人類は空と海の交通網を失った。電波塔もすぐにショートしまうので、通信手段も手紙だけになってしまった。

 僕が生まれる前は、電話線というものが地中に埋められていたそうだが、毎年のように現れるオヤシロサマのせいで、地面の中に埋めておくことはできなくなったらしい。祖父母の時代には、空を覆うように電線が張っていたらしいが、斑目さんの言うことだから、たぶん嘘だろう。

 それにしても、斑目さんは、本当に嘘をつくのが好きだ。もう体中が嘘でできているのかと思うほど、いつも嘘をつく。あの艶のある黒く長い髪も、透き通るようにきらめくガラス玉のような瞳も、いつも僕の目を釘付けにさせて頭の中をふわふわさせる大きな胸も、全部、嘘でできているのだ。彼女は嘘の塊なのだ。そうでなければ、彼女は、女神様になってしまう。そんなことがあっていいわけがない。彼女は、隣に住む、ただのお隣さんでなければならないのだ。

 今日の昼、斑目さんがお土産を持ってきた。お土産を持ってきたと言えば聞こえはいいが、昼食の催促だ。彼女は料理ができないため、いつも昼食時になると、お土産と称してスナエルピーの干し物を持ってくる。僕はスナエルピーが好きではない。あのゴツゴツした骨が浮き出た円筒形の形がどうにも好きにはなれない。生きているときの毒々しい紫色も嫌いだが、獲物を捕らえるために使うと言われる毒を溜めておく大きな頬袋を持つ顔も好きではない。どうして、こんなに臭くて、硬いものを好んで食べようとする人がいるのかまったく理解できない。世の中には、毒袋を何度も洗ってまで食べる人もいるらしいが、本当に気の毒としか思えない。

 昼食は、斑目さんの好きな五月雨焼(さみだれや)きにした。彼女が来るのは分かっていたので、昨日の夜から五月雨を伸ばして切り込みを入れ、水に浸しておいた。他の材料も臭みが抜けるように、塩をふっておいた。最後にふるってかける長相良(ながさがら)なんか、桃源戦(とうげんいくさ)まで歩いて買ってきた一級品だ。おかげで僕の財布の中身はだいぶ軽くなってしまったが、あの笑顔を見られるのなら、お安いものだ。

  ところがどうだ。斑目さんは、五月雨焼きを食べても、美味いの一言もない。何を聞いても上の空ではないか。今日は一体どうしたというのだ。何か悩んでいることでもあるのだろうか。

 心配になって聞いてみたが、斑目さんは仕事のことは話せないとしか教えてくれなかった。そのとき、僕は、彼女が何の仕事をしているのか、今まで聞いたことがなかったことに気がついた。僕としたことがうっかりしていた。彼女があまりに美しくて、気にしていなかったのだ。

 毎日のように僕の家に遊びに来るのを考えると、僕と同じ退真現(たいしんげん)かもしれない。合法的な仕事で、週に一度しか働かない職業なんて退真現ぐらいしかないが、現場で彼女を見たことはなかった。 

 斑目さんは帰り際に、「ごめん。明日は仕事でこれないから」と言った。『ごめん』とは何だ。これでは、僕が彼女が来ることを望んでいるようではないか。そんなことがまわりに知れてみろ、たちまち僕は笑いものだ。逢魔(おうま)が時のツクツクボウシである。

 しかし、そのとき、僕はいいことに気がついた。明日、仕事に出かける斑目さんの後を付ければ、彼女が何の仕事をしているのか分かるのだ。幸い、僕は明日も休みだ。

 僕は、明日の尾行に向けて動きやすい服と必要になりそうな道具をそろえると、今日は早めに寝ることにした。