鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』33

「佐伯君、悪いんだけど、今から人と会うんで帰ってくれないかな?」

 どこか必死な後藤課長の様子が気にはなったものの、迷惑をかけるわけにはいかないので、俺は大人しく帰ることにした。

「あっ、すみません。気がつかなくて。じゃあ、また今度」

 慌てて席を立ち、出口へと向かうと、ちょうど入ってきたばかりの灰色のスーツの女とぶつかりそうになった。お互いに避けようとして何度もぶつかりそうになり、最後は俺が立ち止まることで道を譲ってもらう形となった。女はそれが気にくわなかったのか俺の横を通るとき、「チッ!」と舌打ちした。

 舌打ちの音に反応し、頭にきた俺が振り返ると、女は後藤課長の向かいに座っていた。あの女が後藤課長の待っていた女か。大事な取引先だったらまずいので俺は怒りを抑え込んで、店を出ることにした。

 そのまま雑貨屋へ向かおうとしたとき、俺は気づいた。今日たまたま整理していた報告書では、後藤課長は帯広出張になっていたことを。俺は帯広の文字を読んで、帯広と言ったら豚丼だと考えていたのでハッキリ覚えている。

 会社に嘘の報告をして人と会う。先程の慌てよう。間違えない。後藤課長はあの女と不倫している。俺は弱味を握るチャンスだと思い、すぐに引き返して二人の写真をこっそり撮った。

 

 土曜の午前九時半。俺は村山さんとの待ち合わせ場所である札幌駅内の大丸前に来ていた。待ち合わせ時間は午前十時だったので、三十分ほど早く着いたことになる。目の前を通り過ぎる女性たちを見ながら、村山さんは本当に美人だなと改めて考えていた。鈴原さんといい、村山さんといい、これまで全く女性にモテなかった俺にまさかのモテ期到来だと俺は心の中で大笑いしていた。こんな面倒くさい病気になりはしたものの、苦あれば楽あり、人生悪いことばかりではないのだ。

 もう二十分は経ったかと思い時計を見ると、まだ午前九時三十五分。まだ五分しか経っていなかった。俺は自分が思っていたより緊張していたようだ。今の状態で後二十五分待つのは精神的に持たないので、俺は時間つぶしのため一旦札幌駅を出て近場を歩いて気を紛らわすことにした。

 大丸の表玄関の前を通って右に曲がり紀伊国屋が目に入ったところで、大丸の駐車場の入り口を少し過ぎたあたりで一台の真っ赤なスポーツカーが横付けされた。あんな中途半端なところで停車したら後続車に迷惑だろと俺が睨みつけていたら、右側のドアが開いて黒髪の綺麗な女が降りてきた。その車は左ハンドルだったらしく、その女は歩道に回り込むと窓をあけた色黒の運転手の男とキスをした。

 やっぱり女は金なのかなと思いながら、その光景を眺めていると、車は女を置いてどこかへ走り去り、女はその場で電話をかけ始めた。

 ブーブーと音を立ててスマホが震えた。ちょうど俺のところにも電話がきたようだった。

「はい。佐伯です」

「おはようございます。村山です。今、大丸前に着いたのですが、佐伯さん、もう着いています?」

 少し先に立っている髪の綺麗な女の顔を目を細めて注意深く観察すると、先程のスポーツカーの男とキスをしていた女が、これからデートする予定の村山さんだったことが分かった。

 俺はあの光景を見たことを隠すため、すぐに振り返って大丸の陰に隠れる場所まで移動した。

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』34へ続く