鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』12

「もしかして昨日、何かあったの?」

 俺の問いかけに反応するように、鈴原さんは急に周りの様子を伺いだしたかと思うと、体を小さくして小さな顔の前で手招きを始めた。

 俺が手招きされるまま顔を近づけると、

「ここでは何ですから、給湯室に行きましょう」

 と鈴原さんは言って、そのまま総務部を独りで出て行った。

 一体何だって言うんだ? そんなに秘密にしなくてはならないことなのか? 俺は少し考えてから、鈴原さんを追いかけるように総務部を後にした。

 

 総務部を出て右に曲がり廊下の突き当りを左に曲がれば給湯室だ。二層式のシンクとガスレンジ、冷蔵庫にコーヒーメーカー、それぞれの私物であるコーヒーカップを保管する食器棚があり、その食器棚の横にはお客様用のお茶請け用のお菓子とコーヒーや日本茶が常備されている。

 先に総務部を出て行った鈴原さんは、シンクに小さな尻を乗せるように寄りかかりながら、足先をぶらぶらと遊ばせて待っていた。

「それで昨日は何があったの?」

 俺は給湯室に入るや否や、すぐに質問を続けた。 

「遅い! もしかしたら来ないのかと思いましたよ?」

 遅いと言っても、二、三分程度だ。もしかして鈴原さんは気が短い人なのだろうか?

「ごめん。すぐに来たつもりだったんだけどね」

「まあ、いいですけど。それじゃあ、スマホ出して下さいよ」

「えっ? スマホ? 不動部長の話は?」

「それは後です。まず先にLINE交換しましょう」

「だから、まだアカウント作っていないんだって」

「今、ここで作ればいいじゃないですか?」

「仕事中は、まずいでしょ」

「五分もかかりませんから、早く!」

 俺は言われるまま、ズボンのポケットからスマホを取り出しそうとした。

「こんなところで、さぼっている時間があるのなら、書類の整理でもしてはどうですか?」

 振り返ると、給湯室の入り口に、先程まで総務部にいたはずの岩井主任が腕を組んで立っていた。

「どうして? ここに?」

 岩井主任は腰に手を当て、ふんっと鼻息をつくと、苛立ちながら、紙切れを俺に差し出してきた。

「この請求書、原本でなくコピーでしたのでお返しします。すでに支払手続きを終えていますので、こちらのコピーは担当控えとなるので保管しておいてください」

 渡された請求書をよく見ると、相手先の社判が黒かった。本来であれば朱色なので、よく見れば原本でないことが分かる。俺が忘れていただけで、この請求書はすでに支払手続きにまわしていたのだ。

「ありがとう。わざわざ追いかけてくれたんだね」

「はっ?! 後で返すと面倒くさいと思っただけです。変な勘違いしないでください。鈴原さん、買掛の入力まだ終わっていないよね? 締め切りは今日中なんだから早く戻ってやったら?」

「了解でーす! 鈴原未来、帰還します!」

 笑顔で鈴原さんが俺と岩井主任の間をする抜けるように、給湯室から出て行った。

 残された俺と岩井主任の間に沈黙が続く。なぜだか岩井主任は無言のまま、給湯室の入り口から動こうとしない。俺に何か言いたいのだろうと思ったが、目線は俺の足先の、誰かがこぼしたコーヒーでシミになっている床を見ているようだ。

「それじゃあ、俺はこれで戻ります」

 俺は受け取った請求書のコピーを二つに折ると、岩井主任の横を通って給湯室を出た。

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』13へと続く