鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』11

「いや、ちょっとね」

「ちょっと、って何ですか?」

 右手に持っていた請求書を鈴原さんの視界に入らないよう背中に隠し、右へと目をそらすと、右斜め奥に座っている岩井主任がイライラしながら電卓を叩いていた。やはり、この請求書は絶対に見つかってはいけないものだ。昼休みに入ったら、こっそり岩井主任のデスクに上げて外へ逃げよう。

「色々さ」

「ああ、分かった。LINEですね。昨日、朝一で佐伯さんのところに行ったんですよ? それなのにお休みで」

 LINE? 病院の件で一杯で、すっかり忘れていた。

「ごめん、まだアカウント作っていなんだ」

「ええ!? どうして? なんで? 私のこと嫌いなんですか!?」

 急に大声で鈴原さんが叫び出したから総務部が静まり返った。

「違う。違う。嫌いじゃないよ。昨日、病院に行って色々あって、つい忘れてしまったんだ。昼休み時間に作るから、また後で交換しよう」

 恋人に浮気がバレた男のように俺は動揺してしまった。

「本当に?」

 鈴原さんは目を潤ませて今にも泣きそうな顔をしている。

「本当だよ」

「良かった。私、佐伯さんに嫌われているのかと心配になりましたよ」

 鈴原さんの顔に明るさが戻ったが、俺はどっと疲れて肩を落とした。付き合ってもいない女に、なんでこんなに気をつかわなくてはならないんだろうか。だから女は嫌いだ。美人は好きだが、こういうぶりっ子は苦手かもしれない。

「それじゃあ、俺は戻るから、また後でね」

 そう言って俺が別れの挨拶として右手を挙げると、鈴原さんが「あっ!」と声をあげた。俺が別れのあいさつとして挙げた右手には、それまで隠していた請求書がエアコンの風でひらひらと揺れていたからだ。

「それ請求書じゃないですか?」

「そうだね」

 脇の下をツーと冷や汗が流れるのを感じた。

「請求書は岩井主任ですよ?」

 首を動かさずに目だけを動かして岩井に主任の座っている方を見ると、思った通り、岩井主任がこちらをじっと見つめている。俺が請求書を持っていることがばれてしまったようだ。ワンレンロングの栗色の髪が遠目でも美しい岩井主任だが、睨みつける目つきはとても怖い。このまま営業部に返ることは無理そうなので、俺は腹をくくって岩井主任のもとへ近づくことにした。

「あの、これ月末払いなんですが、ちょっと温めておりました」

「いつも言っていますが、一週間前には持ってきてもらわないと困ります。今度からは気をつけてください」

 そう言って、俺の手から請求書を受け取ると、岩井主任はすぐに山のようにつまれた伝票の束の数字をパソコンに打ち込む作業に戻ってしまった。

 あれ? それだけ? いつもならもっと色々言って怒ってくるのに。今日は梶原部長といい、岩井主任といい、みんな俺に優しくないか? 

 俺は気になったので、営業部に帰る前に鈴原さんのところに戻った。

「ねえ、鈴原さん。今日の岩井主任、いつもより優しくない?」

「そうですか? いつも通りですよ」

「そうか。今日は変な日だな。梶原部長もなんか優しかったんだよね」

「あっ、それ。昨日の不動部長のおかげかも?」

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』12へ続く