鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』10

 翌日、梶原部長に病名は分からなかったと報告した。また嫌味の一つも言われるのだろうと覚悟していたが、不思議なことに何もなかった。それどころか、「最近働き過ぎのようだから、あまり無理しないように」と別人のような言葉が出てきて朝から調子が狂ったものの、今日は久しぶりに外まわりの予定がなかったので、貯めていた事務処理を朝からまとめて処理することにした。急ぎの仕事はその日の内に処理していたものの、期限に余裕のあるものは少しだけ溜まっていた。今月末に支払う請求書もいくつかあったため、経理課へと持って行くことにした。

 週に一回は総務部のドアを開けているが、いつも訪れるのは昼休みの時間か定時過ぎだったので、総務部の人が全員そろっているのを見たのは半年ぶりだった。全ての席に人が座っている総務部は、自分の知っている総務部とは違って見え、なんだか別の会社のようだった。

 一番奥の経理課へ向かう途中で、二日前に話した鈴原さんを見かけた。遠目で見ても美人で可愛らしい。休憩中なのか、仕事をせずに隣の同僚女性とイケメン俳優の話題で盛り上がっていた。

「鈴原さん。前も言いましたよね? 提出する前に必ず電卓で確かめて下さいと!」

「ええ!? エクセルで計算したから間違いないはずですよ?」

「だ・か・ら、前にも言いましたが、エクセルだと四捨五入されるので、内訳が一円合わないことがあるんです!」

 経理の岩井主任が、同じ経理課の鈴原さんを叱りつけている。女同士ということもあるのかもしれないが、岩井主任の口調は結構強い。俺も何度か岩井主任は叱られたことがあるが、彼女の言葉はなかなかきつく、かなりの毒舌家だ。残業しているときに、力強い足音がしたと思ったら大抵彼女である。ややぽっちゃりではあるが、太っているというわけでなく肉感的という感じだろうか。細身の鈴原さんとムチムチの岩井主任。どちらも甲乙つけがたい。

「岩井主任が気づいたときに直してくれればいいじゃないですか?」

「そういう問題じゃないよね? 自分の仕事は責任もってやってくれないと」

「ちゃんとやっていますよ。たまたま間違っただけなのに、なんか嫌だな。そういうの」

 岩井主任は短い溜息を一つつく。

「もういいです。今度から気をつけてください」

 「はーい!」

 先程まで叱られていたとは思えない明るさで鈴原さんは返事を返した。

 それらのやり取りの一部始終を見ていた俺は困っていた。今、手元にある請求書は岩井主任に渡さなければならないのだが、支払期限が近いため、このタイミングで渡すと怒られる可能性がある。今、渡すのは得策ではない。もう少し時間が経って落ち着いた頃に来よう。そう思って、俺はその場で振り返って、入り口に戻ろうとした。

「あれ? 佐伯さん、経理に何か用ですか?」

 やばい。鈴原さんに見つかってしまった。

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』11 へ続く