鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』05

「ただいま戻りました」

 大きな声で挨拶をして営業部に入る。 

 ホワイトボードの『外出』を消して、そのまま梶原部長の元へ向かった。

 梶原部長は、普段はかけない老眼鏡をかけ、いつになく真面目な顔で週刊誌を読んでいた。

「おつかれさまです。急な話なのですが、明日休ませていただきたいのですが……」

 梶原部長は、少しずり落ちた老眼鏡の隙間から上目遣いで俺を睨みつけ、雑誌をデスクに置くとその上に折りたたんだ老眼鏡置いて答えた。

「明日休む? 俺は休めないのに、君は休むんだ。へえー。肩書きがない人は自由でいいね」

 俺の目も老眼になったのだろうか。梶原部長のデスクにはどう見ても仕事とは関係ないグラビアモデルが表紙を飾っている週刊誌が置いてあるのだが、これを自由と呼ばすになんと呼ぶのだろうか。肩書きがあっても自由ではないのか?

「申し訳ございません」

「いいんですよ。別に。有給は権利だからね」

 梶原部長の嫌味のある言い方に、俺は顔を引きつらせながら冷静に話を続けた。

「明日、病院に行こうと思っております」

「病院? どこか悪いの? 頭? もしかして、性病?」

 ああ、この人、最低だ。パワハラだけでなく、セクハラもするのか。うちの会社は、なんでこんな奴を営業部長にしたんだ? 人事課は何をやっている?

「今朝から、右腕の調子が少しおかしいので……」

「ええ!? 右腕の調子が悪いだけで休むの? そうかそうか。俺も昨晩久しぶりにがんばったから腰が痛いんだよね。明日休もうかな」

 ぷちん。俺の堪忍袋の緒が切れた。

「いい加減にしてください! みなさんと違って、俺が有休を取るのは年に二、三回じゃないですか! たまの有休ぐらい気軽に取らせてください!」

 俺は、つい怒鳴ってしまった。俺の大声で営業部が静まり返った。それまで無関心だった同僚たちの視線が痛いほど突き刺さる。

「君ね。俺たち家族持ちは家族サービスをしなければならないから有休を取るんだよ? 佐伯君、君は独身でしょ? 同じ扱いはできないよ」

「それはおかしいです。独身だから残業しろ。独身だから休日出勤しろ。独身だから接待すれ。これで彼女を作る時間が取れる訳ないですよね? この会社は、独身が就職したら一生結婚できないシステムなんですか!」

「それは言い訳だね。今時、ほらなんだっけ、インスタだっけ? なんかあるんでしょ、あれ。あれで出会うんでしょ? 君も、それやれば?」

 人を小馬鹿にするように歪んだ梶原部長の口元に、俺は殺意を覚えた。握った拳がわなわなと震え、限界を超えたときだった。

「おいおい、どうした? うちの部署まで響いているぞ」

 俺と梶原部長のヒートアップする言い争いに、隣の総務部の不動部長が仲裁に入ってきたのだ。

「不動部長。お疲れ様です。右腕の調子がおかしくて……もしかしたら重い病気になったのかもしれないので、明日休んで病院に行こうかと」

「お前な。病は気からって言うんだぞ? 『私、重病かもしれない』と言って本当に重病だった奴はいないから安心しろ。まあ、万が一ということもあるから、念のために行ってこい。梶原部長もそれでいいですよね?」

「……そうですね」

 社内でも力のある不動部長に頭が上がらない梶原部長は、それまでの横柄な態度をあらため、小さく答えた。

「よし。これで決まり! さあ、みんな仕事に戻ろう!」

 不動部長の一言で、止まっていた営業部の時が動きだした。それまで、俺と部長のやりとりを眺めていた同僚たちも、自分たちのパソコンに視線を戻す。

「佐伯、ちょっと時間あるか?」

 自分の席に戻ろうとした俺を不動部長が呼び止めた。

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』06 へ続く