鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』04

 会社の駐車場に車を停め、キーをロックする。そのまま鍵をスーツのポケットに入れようと右腕をあげると、鍵が右手からするりと滑り落ちた。

 まただ。朝と同じだ。意識して物を掴んでいないと落としてしまう。調子が悪いのは俺の車ではなく、俺自身だ。俺の体に異変が起きているのは間違いない。明日、病院に行くのは先程決めたが、これは何の病気で、どこに行けばいいのだろうか。内科か、整形外科か。ロックしたドアを再び開けて車に戻り、スマホでネット検索することにした。

 症状から考えられる病名は胸郭出口症候群だが、これなら整形外科のようだ。考えたくはないが、もし最悪、別の病気で、それが脳梗塞のような脳の病気であるのなら脳神経外科だ。筋萎縮性側索硬化症やパーキンソン病など、他にも似たような症状の病気はいくつかあるようだが、口がまわらなくなったわけではないので筋萎縮性側索硬化症とは思えないし、手が震えているわけでもないのでパーキンソン病とも思えない。どれも発症率が低く珍しい病気なので、俺とは関係ないだろう。

 それにしても、病名が分からなければ、どこを受診すればいいのか分からないとは、これだけ医療が進歩しても、日本の医療界の根本的な問題は解決していないようだ。

 とりあえず俺は脳神経外科のある大きな病院に行くことにして車を降りた。今度こそ鍵を落とさないよう、右手を意識して鍵を掴んでいたので、鍵は落とさずにポケットへしまうことができた。

 意識していれば落とさない。心配過ぎなのだろうか。明日、休むのは大袈裟か。病院に行かない言い訳をあれこれ考えながら、会社へと続く道をとぼとぼと歩いた。

「お疲れ様です」

 明るく弾む声がして後ろを振り返ると、栗色のショートカットの女が立っていた。うちの会社の制服を着ているので同じ会社の人間なのだろうが、名前を思い出せない。同じ営業部なら名前を憶えていなくても顔は分かるので、たぶん、俺と同じ営業部ではなく、総務部所属なのだろう。

「お疲れ様です。あれ、どうしてここにいるの?」

「今日は外でお昼を取ったんです」

「ああ、そうか。今、昼だったね」

「それより佐伯さん。どうしたんですか? 背中から、この世の終わりみたいなオーラをモヤモヤと出ていますよ? もしかして彼女さんにでもフラれました?」

 そう言って俺の左横に回り込むと、その女の子は両腕を後ろに組んだまま俺の顔を覗き込んできた。それにしても、こんなに可愛い女の子がうちの会社にいたとは、灯台下暗しである。彼女が俺の『彼女』なら嬉しいが、こんなに可愛い女の子だ。彼氏の一人や二人いるのだろう。

「俺みたいな冴えないおっさんに、彼女なんていないよ。彼女がいれば、相談でもして気も紛れるんだけどね」

 一瞬、彼女の目が見開いた。何かに驚いたようだ。この歳で彼女がいないということに驚いたのかもしれない。

「へぇ。そうですか。そうなんですね」

 よく分からないが、彼女の中で何かが納得できたようだ。

「ところで、今、彼女がいないの後、何て言いました?」

「『彼女がいれば相談できたのに』かな?」

「相談って、何の相談ですか?」

「いや、大したことないんで気にしないで」

「ええっ!? そんなこと言われたら気になるじゃないですか。ほらほら、物は試しです。私、鈴原未来にどーんと話してみてください」 

  笑顔の可愛い彼女の名前は鈴原未来というらしい。

「いや、もう昼休みも終わるし、また今度ね」

「ああ、そう言って、うやむやにする気でしょ? ほら、スマホ出してくださいよ。LINE交換しましょうよ?」

「あっ、ごめん。俺、LINEやっていないだ」

「えー! マジで!? 今時、LINEやっていないんですか?」

 はい。すみません。モテないおっさんは、LINEをやらないのです。

「うちの父ですらやっているのに……」

「メールで足りるからね。それに相手がいないし」

「私が話し相手になりますからLINE始めましょうよ」

 久しぶりの女性との会話は会社の玄関に着いたことで終わった。

「もう会社に着いたし、また今度ね」 

「明日、会社で会ったとき、LINE交換しますから、今日中にLINEアカウント作っておいてくださいね!」

「分かったよ。今夜にでも作っておくよ」

 そう言って、俺は鈴原さんと廊下で別れ男だらけの営業部のドアを開けた。 

 

文フリ用連載『この心臓が動く限り、俺は諦めない』05 へ続く