鉄仙のショートショート

札幌在住会社員のショートショート置き場です。

ホンノキ

 午後九時。小さな本屋『カミクラ書店』を覆ったシャッターの隙間から明かりが少しだけ漏れていた。営業を終了した店には店長の貫田と常連客の真島が腰の高さほどのカウンターを挟んで雑談に花を咲かせている。

「貫田さん。俺は、昔の文豪が書いたような人間臭さのあるものが読みたいんですよ」  大学生の真島は、講義が終わるとカミクラ書店に寄る。彼は貫田と文学について熱く語ることが日課となっていた。

「真島君は本当に純文学が好きよね」

 黒いロングヘアーが似合う店長の貫田は目を細めて笑っている。彼女は、真島のことが嫌いではなかった。むしろ自分にとって必要な人間だと思っていた。

「地味だけど、こう、心にどっしりと来るようなものこそ、最高の小説だと思いませんか?」

「そうね。私もそういうのが好きかな。そういえば、風間君も同じこと言っていたわ」

「あっ、風間さんと言えば、連絡先知っています?」

「連絡先?」

「最近、店で会わないからどうしたのかなと思って」

「知らないなあ。でも、もうこの店には来ないんじゃないかな」

「何か知っているんですか?」

「遠くへ引っ越したみたいよ」

「そうなんですか。教えてくれればいいのに……」

「別れがつらかったんじゃない? 私は、真島君がいるからいいけど」

「えっ? それって、もしかして……」

「あっ、思い出した。真島君に見てもらいたいものがあったんだ。ちょっと待っててね」

 驚きと期待で顔を崩す真島を背に、貫田が店の奥に消えると、すぐにカウンターへと戻ってきた。

「真島君、これ読んでみない?」

 貫田の白く細い指先には、布張りの赤い本があった。

「これは何ですか?」

「風間君の置き土産」

「置き土産? 俺は純文学しか読みませんよ」

「大丈夫。三島由紀夫のシンサク」

「シンサク? そんなタイトルの本あったかな?」

「違う、違う。新しい作品と書いて新作。タイトルは表紙に書いてあるでしょ?」

 真島は本のタイトルを確認する。表紙には『情のゆらぎ』と書かれていた。著者は三島由紀夫となっており、奥付を覗くと発行日は先週だった。

「新作?」

「三島由紀夫の新作」

「あり得ませんよ」

「いいから、いいから。取りあえず読んでみて」

 

 翌日、真島は寝坊した。前日の夜、借りた本を一気に読み、興奮のあまり眠れなかったのだ。真島は大学をさぼってカミクラ書店へ向かった。店へ入るや否や貫田に詰め寄る。

「あの本、何ですか!」

「あれね。面白かったでしょ?」

「本物じゃないですか!」

「だから言ったでしょ。本物だって」

「三島由紀夫はまだ生きているのですか?」

「もちろん死んでるわ」

「それなら、あれを書いたのは誰ですか?」

「ホンノキ」

「ホンノキ?」

「見た目は普通の木なんだけど、満月の夜に、木の根元に本を埋めると新しい本を実らせる妖怪なの」

「妖怪? 俺をからかっています?」

「百聞は一見にしかずね」

 そういうと貫田はカウンターの下から小さなダンボール箱を取り出した。

「真島君。これを見て。どれもすでに他界した有名作家の新作ばかりよ」

 ダンボール箱の中には、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、新屋鉄仙。誰もが文豪と認める有名作家たちの聞いたことのないタイトルが入っていた。

「凄い。どれも本物だ」

 新しいおもちゃを与えてもらった子供のように目を輝かせながら、真島は次々に本の中身を覗いていく。

「真島君、良ければ全部貸すわよ」

「本当にいいんですか?」

「その代わりといってはなんだけど、三週間後の新作の収穫を手伝ってもらえる?」

「もちろん、喜んで!」

「良かった。どうしても真島君が欲しかったの」

 真島を見つめながら貫田はニヤリと笑った。

 

 三週間後の土曜の夕方。真島は貫田と一緒にホンノキがある山の入り口に車を停めて、スコップ片手に道なき道を進んでいた。

「真島君がいてくれて助かったわ」

「貫田さんのためなら、これぐらいお安い御用ですよ」

「本当に? ありがとう。嘘でも嬉しいな」

「ほ、本当ですよ。貫田さんと俺は趣味も合いますし、こう、なんというか、話しやすくて、俺は好きです」

「私も真島君のこと好きよ。私にとって必要な存在だから」

「それって、つまり……」

「ほら見て。先月分の本が実になっているわ」

 貫田の指差した方向には、満月の明かりに照らされた大樹が、枝先に一冊の本を実らせていた。 貫田はホンノキに近づくと枝から慎重に本をもぎとって、真島に手渡した。 真島は表紙を見て驚いた。表紙には『青春もんじゃ』というタイトルと新屋鉄仙の名前が書かれていた。

「貫田さん! これ、新屋鉄仙の新作ですよ!」

「そうね」

「なんでそんなに冷静なんですか? あの新屋鉄仙ですよ!」

「なんでと言われても。今日の作業は感情的になったらできないから。それよりも、真島君が選んだ作家は誰なのかな?」

 スコップで穴を掘り終えた貫田は手を伸ばして、真島に持ってきた本を渡すよう促した。

「俺が選んだのは太宰治です」

 得意げな顔で真島は貫田に本を手渡したが、貫田は真島の顔も見ずに本を受け取って埋め始めた。

「太宰治か。一か月後が楽しみね」

「そう言えば、最近、バイトの魚住さんを見かけませんが、彼女は店を辞めてしまったのですか?」

「彼女も相当な本好きで、真島君と同じようにここへ来たわ」

「えっ? なんの話ですか?」

「そうそう、一つ言っていなかったけど、本を実らせるのに必要な物は、元になる本だけでなく、栄養もなの。ちょうど人一人分の栄養がね」

 ヒュンという風を切る音がしてスコップが真横に流れた。 真島は後頭部に鈍い痛みを感じて前へと倒れ込む。

「貫田さん、何を……」

 倒れる真島を見下ろす貫田の表情は、満月の逆光で判別できない。

「真島君は本が好きな割には読解力がないよね。だから、魚住さんは一か月前にここへ来たのよ。栄養になるために」

 血の付いたスコップを地面に尽き立てると、貫田は真島の腕を掴んでズルズルとホンノキの裏に引きずっていく。裏にはちょうど大人一人が丸まれば入れるぐらいの穴が空いていて、貫田が真島を投げ込むと、すぐに穴は閉じた。

 貫田はホンノキの中に閉じ込められた真島に向かって話しかける。

「ホンノキは栄養となる人間を入れないと本を実らせてくれないの。それも筋金入りの読書家でないと駄目なのよ。おかげでうちの常連さんも全員いなくなってしまったわ」

 月明りに照らされた貫田の顔には、狂気に満ちた笑みが浮かんでいた。