鉄仙のショートショート

2012年に若年性パーキンソン病を発症。アマチュア作家。

境都(きょうと)

 私には、住みたいけれど、住めない街がある。

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 今から二十年と少し前。私は高校を卒業すると、生まれ故郷の札幌を離れて和歌山県の高野山に移り住んだ。仏教の中でも一部の限られた者しか学ばない密教を学ぶためだ。

 高野山の上には、寺院と宿坊、最低限の商業施設しかなく、都会的な娯楽の類いは小さなゲームセンターしかなかった。高野山は、札幌で育った私には物足りない町だった。

 私は、週に一度、ケーブルカーと電車を乗り継いで、大阪の難波まで降りるようになっていた。難波は、札幌とは比べにならない都会で、何度訪れても楽しい場所だった。観光地として人気の京都が、電車で一時間の距離にあることを知っても、足を運ぶ気も起きないぐらい、あらゆる娯楽がそこにはあった。

 それは難波に向かうのが五回目のときに起きた。朝早くにアパートを出た私は、電車の中で寝てしまったのだ。難波駅が終着駅だったため、寝過ごす心配がなく、気も緩んでしまったのだろう。

 終着駅に着いて、他の客がぞろぞろと降りる中、私は目を覚ました。慌てて電車を降りてホームに立つと、驚いた。目の前には、いつもと違う景色が広がっていたのだ。

 照明は全て赤い提灯で、一定の間隔で屋根から金色の鎖がぶら下がっており、人々はそれを器用に避けながら歩いていた。半数の人が着物を着込んでおり、洋服を着た人たちもいたが、どこか古めかしい感じがした。人々の頭の後ろには決まって、白い狐の面がつけられていた。

 人々の足下を白い何かが走り抜けた。私は目をこらして白いものを追い、その正体を知って驚いた。猫かと思ったそれは白い狐で、顔には赤い隈取りが施されていたからだ。

 私は、周囲の様子を窺っても何一つ状況を飲み込めず、ただひたすら驚くばかりだった。

 当時はまだ携帯電話がそれほど普及しておらず、GPSで現在地を確認することもできない時代だった。背中に背負ったバッグには、大阪周辺の分厚い地図が入っていたが、現在地が分からないことには、どうにもならず、私は慌てて現在地の分かるものを探すことにした。

 すぐに駅名の書かれていそうな白い看板を見つけたので、急ぎ足で近づくと、看板をのぞき込んだ。

 そこには『境都(きょうと)』と書かれていた。

 すぐにバッグから地図を取り出して、終わりに載せられている地名検索のページで『境都』を探したが、地図には京都は載っていても、『境都』は載っていなかった。

 私は、人見知りだったので抵抗はあったが、勇気を振り絞って、道行く人を止めて難波までの道を聞くことにした。ちょうどよく、目の前を黒いスーツを着た人の優しそうな男が通り過ぎたので、私は声をかけた。

「すみません、道に迷ってしまいまして」私は男に声をかけた。「ここは大阪のどこですか?」

「オオサカ?」男は眉間にしわを寄せた。「ここは境都だよ」

 私は、大阪周辺の地図を男に差し出した。「境都はどの辺になりますか?」

「冗談はやめてくれ」男はいらだちを見せた。「俺も忙しいんだ」

 男は、そのままどこかへ行ってしまい、私は取り残されてしまった。都会の人はいつも忙しそうで冷たいと思いながら、私は情報収集するために改札を抜けてホームを出ることにした。

 改札前まで来て初めて、手元の切符で通れるのだろうかという疑問が湧いた。境都が難波よりも遠い場所なら追加料金が必要となるからだ。

 ――遠い場所? あっ! 時間だ! 時間を見れば、どれぐらい遠くに来たのか分かるのじゃないか?

 閃いた私は、急いで腕時計を確認した。左腕に巻かれたアナログ時計は、五時五十五分を指していた。私が家を出たのが午前六時半だったので、半日近く経っていることになる。

 ――半日も経っている?

 わきの下を冷たい汗がツーと流れ落ちた。私は寝ている間に、かなり遠くまで来てしまった可能性があった。

 高野山を下りるとき、少し多めにお金は持ってきていたが、足りなくなる可能性も出てきた。

 私は、恐る恐る改札機近くの乗り継ぎ用券売機に、手持ちの切符を通してみた。
 ピッという高い音がして、『こちらはご使用になれません』と画面に表示され、切符が戻ってきた。

 切符を取り上げると、私は切符の裏面をのぞいた。

 ――磁気テープの異常かな?

 私は、駅員のいる窓口を見つけて切符を差し出した。

「乗り越ししてしまったようなので、精算したいのですが」

「はい。分かりました」駅員は切符を受け取ると、不思議そうな顔をした。「あなた、どこから来ました?」

「高野山です。ケーブルカーを下りて極楽橋で電車に乗り換えて難波に向かっていました」

「ああ、そのパターンですか」駅員は一人で納得している。

「そのパターン?」

「いるんですよね。極楽橋を渡っちゃう人」

「渡る?」私は頭が混乱した。「どういうことですか?」

「現世から間違って『境』である、ここ『境都』に来てしまう人がたまにいるんですよ」

「『境』って、何との境ですか?」

「現世と常世の境です」駅員は、薄気味悪い笑みを浮かべた。

 あの日は、それから色々あって大変だった。京都にそっくりな『境都』を散策することになり、夜は妖怪たちの時間だから狐面を付けて妖怪のふりをして、伏見稲荷大社で玉藻前を口説き落として殺生石をもらい、五光石に変えるために晴明神社に行って北野天満宮からやってきた菅原道真と勝負をして、五光石を奪った八坂庚申堂の三猿を追いかけて八坂の塔を登り、死にそうになったところを五十二尊の雲中供養菩薩を伴って現れた阿弥陀如来に助けてもらったりで、本当に大変な夜だった。

 現世に帰る直前に、最初に古書店で出会った一条さんの正体が安倍晴明だったことと、その母親が玉藻前だったことを知ったときは驚いた。私は何も知らないまま一条さんの前で、実の母を口説くなんてことをしていたから、一条さんは私の横で笑い転げ、玉藻前が「悪趣味な男だ」と言ったのだ。今、思い出しただけでも恥ずかしい。

 そういえば、あのとき、一条さんから現世に三人しかいない八咫烏としての役割を押しつけられ、『初めの三人』を引き継いだけれど、あれは一体なんだったんだろうか?
 色々な体験ができた境都は、簡単には行けない場所ではあるが面白い場所なので、一度は住んでみたい街ではある。

 

(この話は、一部を除いてフィクションです)

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by リクルート住まいカンパニー